修験道の霊場、英彦山神宮

先日、前々から思いを馳せていた英彦山神宮(ひこさんじんぐう)にお参りに行ってきました。

 

朝の9時に博多駅を出発し、JR福北ゆたか線に乗り、乗り換えもしながら電車に揺られること1時間半。彦山駅で電車を降り、そこからバスに乗り揺られること20分。バスから降りいよいよ到着かと思いきや、そこから長い参道の階段を上がっていくこと30分。合計約2時間半の道のりをかけてようやく英彦山神宮に到着しました。

 

 

英彦山神宮は、日本随一の修験道の霊場である英彦山に鎮座する由緒正しい神社です。
奉幣殿と呼ばれる神社の拝殿は、修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は、元和2年(1616年)小倉藩主によって再建されたものです。

 

龍の口元から流れる霊験あらたかなご神水です。修験行者は入山時には必ず水筒に入れて、修験中の補水とお守りにしていたそうです。その場で、一口頂きましたが、水は冷たくてとても美味しく疲れがすーっと楽になりました。

 

 

この日は階段を上がった先にある天然記念物の鬼杉という樹齢1200年の大木の所まで行こうと思ったんですが、社務所の巫女さんに聞いてみると1時間半はかかるとのことで、鬼杉は次回に持ち越しにし、次の目的地の英彦山の霊場、高住神社へ向かうのでした。

 

 


英彦山神宮
http://hikosanjingu.or.jp/
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、ご祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山(ひこさん)」と呼ばれていました。

嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。

英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、西国修験道の一大拠点として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。

明治の神仏分離により修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊仙寺(現・霊泉寺)を分離し神社となって「英彦山神社」に改称した。1883年に座主の高千穂宣麿が男爵を授けられ、華族に列した。1898年(明治30年)に官幣中社に列した。1975年、現在の「英彦山神宮」に改称した。