今日は筑後国一宮の高良大社(こうらたいしゃ)をご紹介します。
高良大社は、古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれ、旧社格は国幣大社、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。
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高良大社がある高良山を車で進んで行きますと、大きな鳥居と表参道の階段がお出迎えしてくれます。ここで車から降り、大社へ向かいます。
表参道の階段は133段あり、お参りするまでに一苦労必要ですが、登った先では筑後平野が一望できとても清々しい景色です。
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高良大社は筑後平野の要衝である高良山の山腹に鎮座し、創建は仁徳天皇55年(368年)とされています。
景行天皇(4世紀前半)の熊襲征伐においては高良行宮が置かれ、神功皇后の山門征討では麓に陣が敷かれ、また、磐井の乱(527年)においては最後の戦さの舞台となり、後には南朝、懐良親王が征西府を置き、豊臣秀吉の九州征伐では本陣とされるなど、高良山は常に九州の軍事の要衝でした。
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高良山には神籠石(こうごうせき)と呼ばれる1m程度の長方形の切石が約1,300個、大社社殿背後の尾根(海抜251m)を最高所とし、南側の尾根にそって下り、西裾の二つの谷を渡り、延々1600mに及び並んでおり、太古の祭祀と信仰を伺わせる痕跡を見せています。
この列石は、我が国の古代遺跡の最も規模雄大なものとして、昭和28年に国の史跡に指定されました。
築造の目的、年代、築造者などについて諸説があり、正史に記載を欠くことと相まって、この列石をめぐる歴史の真相は未だ謎に包まれています。
古田武彦氏はこの地域に王朝があったする「九州王朝説」を唱えており、歴史の観点からもとても興味深いところです。
筑後国一の宮 高良大社(福岡県久留米市御井町1番地)
1,600年以上の歴史―。古くは「高良玉垂宮(こうらたまたれぐう)」。
高良大社は、古くは「高良玉垂命神社」と呼ばれていました。大社に伝わる『絹本著色高良大社縁起』(福岡県指定文化財)によれば、今から1,600年前、仲哀天皇の御世、異国の兵が筑紫(九州)に攻め込んできました。
西に下った神功皇后(じんぐうこうごう)が追い返し、筑前国四王子嶺に登って神仏に助けを祈られたとき、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)という神が住吉の神とともに初めてご出現されたと伝わります。