「我は菅原道眞なり。今武蔵寺に同体分身の像あり、よろしく東林寺に持帰り、信仰せよ。いかなる願も叶えるであろう」
東林寺天満宮に祀られている御神像は、福岡県筑紫野市の武蔵寺(ぶぞうじ)より遷し祀られたものですが、この御神像には、数々の言い伝えがあります。その中でも特に注目されるのは、菅原道真公と同体分身の像、即ち道真公自らが刻み作られた像であるということです。
この縁起について記された文献から、その内容を抜粋し以下に記します。
『郷土研究 筑後』(昭和9年)より
(一〇)菅公自作の神像(三井郡上津荒木村光勝寺)
靈松山東林寺は、元禄十五年有馬頼元公の命に依つて草創し、慈妙空惠和尚を開祖とする眞言律宗の寺院である。この寺に屬した東林寺天滿宮の神像の物語。東林寺に玄鏡といふ老僧が居て病に罹り、その養生のため筑前の武蔵温泉に浴するため、旅亭に滯在してゐた。或る夜、同行の武蔵寺に在ます菅原天神の像を持ち歸つた夢を見た。そこで、翌朝夙く武蔵寺に詣でて、住僧の定應法印にその夢の次第を物語つた。僧、これを聞いて「吾が寺に、昔より天神の木像があります。傳へによると、菅公自作の神像と言ひます。この寺は邊鄙な寺、徒に安置して置くより、今朝の夢の告に從つて、貴寺に納めませうから、お持ち歸りください。」と言つた。玄鏡は喜んで、尊像を持ち歸り祀つたのである。(19頁)
『筑後史』より
宝暦二年壬申の卯月二十二日の夜、東林寺の老僧玄鏡、筑前武蔵の温泉に浴せんがため、当地の温泉旅館に宿した。その時、霊夢により、同所武蔵寺にある菅神の像を貴寺に安置せよとのお告げがあった。
同日、武蔵寺住職 定應法印にも夜に、御神体を霊松山にうつし祀るべきお告げがあった。奇しくも同日同夜、霊松山主観 果大和尚の夢中に衣冠正しき者が面謁し、「我は菅翁なり、肉孫の玄鏡、日夜信心恋慕する故、我本意を教示せり。我 年来 秘教を当山に鎮座し、永く実教の法味を受け、諸神と共に威力を倍して悪神悪魔を降伏し、我れ即身成仏の卯明を授け玉へ」と乞ひ玉ふ時、山主は驚き覚められたり。
以上三者が同日同夜 霊夢を見る。
筑前武蔵の温泉宿にいた玄鏡は翌日、武蔵寺に詣で、住職 定應法印にこの事を語った。前日霊夢を見ていた定應法印は奇なると感じ、「吾に累年、天神の木造あり、伝えによると、菅公の御神体なりと伝来するものがあるが、只徒に安置するのみ。今幸に夢の吉に任せ、貴寺に納むべしと應諾。
『天満宮』の御縁起より
玄鏡言わく
勿然と現に神体あらわれ玉ひ、汝は吾が肉孫にして、縁深き者なり。我れ昔神なりし時、筑前天拝山に於て自ら全身の神像を刻み、同体分身して我が心神形色を此像にとどめ置く、全く生身に異ならず。久しく武蔵寺に隠れしが、今既に時至れり、爰に出現す。汝早く我が神像を霊松山に遷し益々、渇仰せよ。
同夜、霊松山主観果大和尚、夢中に衣冠正しき神聖来たりたまひ、面謁して、我は菅翁なり、肉孫の玄鏡日夜信心恋慕する故、我本意を教示せり。願はくは、我即身成仏の卯明を授け玉へと乞ひ玉ふ時、山主は驚き覚められたり。
又同夜に筑前武蔵寺 現住 定應法印へ御神体を霊松山に遷し奉るべき旨告げさせ玉ふ。誠に伝聞の貴賤歓喜踊躍して不思議の思をなし、玄鏡律師 直ちに筑紫武蔵寺へ走られ、即時に生身の神体を乞受け、宝暦二年(1752年)五月二十五日、筑後国 霊松山東林寺に御遷宮あらせたまふ。
『久留米ん昔話』より
坂の上の菅公像 (藤光)
藤光のとこに東林寺のあった頃、ここの玄鏡ち言う和尚さんが年とったせいか、ちーつと体ん調子ん 悪かもんぢゃけ、「筑前の武蔵温泉がよかけん、いっ時養生して来なさらんの」ち言う門徒たちのすすめで、武蔵温泉に湯治に来なさった。日にちのたつにつれちほんに元気にならしゃった。いくら湯治に来とっち言うてもお坊さん。朝夕の御勤めは欠かさんごつしござった。或る夜、寝る前のお勤ばされとっと、いかめしか衣冠束帯の人が目の前に現われて「我は菅原道眞也今武蔵寺に同体分身の像あり、よろしく東林寺に持帰り、信仰せよ。いかなる願もかなえるであろう」ち言うて消えられた。和尚さんな 不思議なこつもあるもんち思うて床につかれたが、そん晩夜の勤行の時見た菅公の像ば温泉の西にある武蔵寺から自分が戴いて東林寺に持って帰る夢を見らしやった。和尚さんな夜の明くっとも待ちきらんごつして武蔵寺ば尋ねち、住職の定応法印さんに昨夜ん夢ば話しなさった。ところが定応住職も又同じ 夢ば見とられとったけん、「私も同じ告げを受けました。たしかに武蔵寺には昔から伝わっておる天神様の木像がありますが、この御像は菅公御自身がお彫りになったものち言われとります。こげな片田舎のお寺にお祀りしておきますより、藩公の直願寺である、あなたの東林寺様で祭っていただいた方が菅公様も御本望でしょう、どうぞおゆづり申しますけ昨夜の夢んごつ待ってお帰り下さい」ち武蔵寺さんぢゃ心ようゆずられたけんで、玄鏡和尚は喜うで東林寺に持って帰って天満宮に祭らっしゃった。