宮地嶽神社でのお参りが終わりましたら、御本殿裏に進みますと「奥の宮八社」へ続く参道があります。
今日ご紹介する不動神社はその「奥の宮八社」の内の一社です。
この不動神社、ご祭神は不動明王で全国でも珍しいのですが、やはり最も特筆すべきは、古墳が本殿になっているという点です。横穴式の古墳の入口前に拝殿があり、古墳内部に不動明王が祀られています。
拝殿に入りますと、古墳の入口すぐの所に祭壇が置かれていて、普段はそこでお参りをしますが、年に三回の祭典日には御開門され、古墳内部での参拝をすることができます。
本殿内部です。年に三回の大祭日に入ることができます。
不動神社の本殿となっている宮地嶽古墳は直径34メートルの円墳で、内部の横穴式石室は全長23m、最人幅2.8m、天丼までの高さは最大3.1mを測る巨大なものです。奈良県橿原市の見瀬丸山古墳の石室の長さ28.4mに次ぐ全国2位の規模を持つ横穴式石室古墳です。
石室に使われている石も巨大な切石で、一つの石が高さ幅とも約5m奥行き数mに及ぶ巨石8個が左右に並んでいます。
この巨石古墳からは、約三百点の宝物が出土し、内十数点は国宝に指定されています。
冠、馬具類、太刀など、全国に類まれなる優れた品揃いであることから、地下の正倉院といわれています。
[不動神社 大祭日]
この日は御開門され、古墳内部での参拝が許されます。
・一月二十八日 初不動祭(孝養ローソク神事)
・二月二十八日 春季大祭(ぜんざい祭り)
・七月二十八日 夏季大祭(水神社 そうめん流し)
大祭日の参拝もお勧めですが、その日は非常に混み合いますので、可能でしたら大祭日と別の普段の日にもお参りをされることが、心身も落ち着き、良いのではないかと思います。
宮地嶽神社 奥の宮不動神社(おくのみや ふどうじんじゃ)
811-3309福岡県福津市宮司元町7-1
不動神社の古墳は、寛保元年(一七四一)宮地嶽の山崩れにより初めてその口を開け、村人達や修験道者達はこの古墳の全容のあまりの見事さに畏敬驚愕し、この石室内に霊験あらたかなる不動尊をお祀りになりました。
この古墳の特徴は非常に大きな岩を使って素晴らしく大規模なものを築いているという事で、一つの石が高さ幅とも約五m奥行き数mに及ぶ巨石八つで左右を囲み、その全長約二十三mという日本最大級の石室であります。
この地下の正倉院といわれる巨石古墳からは約三百点の宝物が出土し、内十数点は国宝に指定されており、冠、馬具類、太刀等、全国に類まれなる優れた品揃いであります。
宮地嶽の北側に従える峰を登りますと、玄海の大海原に沖の島、志賀島、海の中道等古代大陸交通の華やかな昔を偲ぶ島々が美しく浮かんで見えます。目の下に見える渡半島の内側とこの山麓地帯の間は、その昔、美しい砂丘に囲まれた港湾でありまして、この良港を抱いた宮地嶽山麓地帯が対外発展の拠点として繁栄した時代のあった事は、当然考えられる事であります。
天地の神々の厚い御加護のもとに、玄海の平穏な船路に恵まれて、海の彼方の香り高い珍しい宝物や、貴重な品々を山と積んで港に入る宝船に、幾度か歓喜の声がこの浦曲にこだました事でありましょう。
このような宮地嶽の地に大和の大貴族にも肩を並べる程の富と権威とを象徴する全国最大級の大石室古墳が築かれ、又御陵関係の重宝にも劣らぬ天下の重宝が発見されました事から、九州北部王朝の繁栄と伝承が偲ばれ、それが起源となって神霊あらたかなる神々の鎮座まします霊地として、多くの人々が宮地嶽の神々へ御参りされる事も、まことに故あることと申すべきであります。