英彦山神宮の銅鳥居と旧亀石坊庭園

 

英彦山神宮の銅鳥居は、寛永14(1637)年、佐賀藩主の鍋島勝茂の寄進により建てられたもので、高さ7m、柱の周囲は3m余りもある胴の太い青銅製の鳥居です。

 

柱は青銅製の円筒6個を積み重ねてできています。『英彦山』の扁額は、享保19(1734)年に霊元法皇の勅命を受けて京都から運ばれて架けられたもので、この頃から「英彦山」と称されるようになったといわれています。

  

 

※英彦山は、天照大御神(日の神)の御子神である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が鎮座する山として、「日子山(ひこさん)」と呼ばれていました。その後、弘仁10(819)年に嵯峨天皇の詔勅により「日子」の2文字が「彦」に改められ、享保14(1729)年には、霊元法皇の院宣により「英」の1文字を賜り「英彦山」となりました。

 

 

 

指定名/英彦山神社銅鳥居(ひこさんじんじゃかねのとりい)

指定種別 国・重要文化財(建造物)

指定年月日 昭和14年10月25日

製作年・時代 寛永14年(1637)

員数 1基

構造等 青銅製明神鳥居

所在地 添田町大字英彦山 英彦山神宮参道

備考 「英彦山神社」は、昭和50(1975)年6月24日に「英彦山神宮」に改称されました

 

 

旧亀石坊庭園は英彦山修験道坊家の代表的な庭園で昭和三年(1928年)に国指定名勝に指定された。

広さ699平方メートルの池泉観賞式の庭園であり、雪舟の作庭と伝えられている。

 

 

画聖 雪舟(せっしゅう)が室町時代に築いたという池泉観賞式庭園。出島の傍らに亀石組、鶴石組が据えられ、巧妙な滝石組など非常に優れた庭園で、医光寺(いこうじ)と萬福寺(まんぷくじ、益田市)、常栄寺(じょうえいじ、山口市)とともに雪舟四大庭園と呼ばれています。

 

雪舟の弟子に「彦山実円坊等琳(ひこさんじつえんぼうとうりん)」という名があり、英彦山と雪舟に深いつながりがあったことが分かります。