神主ブログ

 

こんにちは、
東林寺天満宮の神主です。

日々の徒然を神主の立場として

感じるままに綴って参りたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。


趣味:読書

特技:水泳

好きな言葉:

清貧、誠実、清潔



令和5年12月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

早くも十二月を迎えました。「歳月は人を待たず」とは言いますが、これほど早く過ぎていく日々の中でも、私たちは自然の営みに感謝をささげ、ご先祖様に祈り、感謝をすることが、私たちにとって最も重要な事と存じております。

 

皆様方におかれましては、これより先も日々が健やかで素晴らしい一年をお迎えになられますことをご祈念致しております。

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

令和5年11月

 

本日はようこそご参拝下さいました。

 

全国の神社では11月に新嘗祭を斎行いたします。

このお祭りはその年の新穀を神様にお供えをし、豊かな実りに感謝すると共に来年の五穀豊穣をお祈りする神事です。

11月は霜月ともいわれ寒さが強まっていく月となっておりますが食べ物がおいしくなる季節でもございます。

古来より日本の豊かな穀物に感謝してきたこの季節だからこそ何気なく口にしている食べ物にも目を向け、糧としていただければ幸いです。

 

本日はようこそご参拝下さいました。

 

 

ほのににぎ

 

本日は御参拝いただきありがとうございます。

 

昨今、様々なところで開発が進み、風景や景色が目まぐるしく変わってしまうことがございます。

しかし、そのような中にあっても神社は時代に合わせながらも景観はもとより伝統や習わしを維持し守り続ける努力をしております。

 

ご参拝者の方々に落ち着きや安らぎを感じていただくと同時に喜びや活力を感じていただくことが神社の役割であると思っております。これからもご参拝者の皆様に愛される神社の姿を維持し続けられますように皆様の温かいご指導ご支援を頂きながら日々努めてまいる所存であります。

 

最後に御参拝の皆様が益々ご清栄されることをお祈り申し上げます。

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

令和5年7月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

早いもので今年も七月となりました。

雨の多い日が続いていますが、

梅雨が明けますといよいよ夏も本番に向かって進んで参ります。

 

私たちが口にする食べ物は、元を辿ると、

一粒のタネから生まれたものです。

タネには生命を未来につないでいこうとする力が秘められ、

様々な環境の変化にも適応しながら成長していきます。

 

自然から与えられる幸せに感謝をし、日々を生きていくことが、

私たちにとって非常に重要な事ではないかと存じております。 

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

令和5年4月

 

本日はご参拝頂きまして有難うございます。

 

現在、境内の桜が満開に咲き誇っております。

桜の時期は一年中で、この時を逃して他にはありませんから、

老いも若きも女性も男性も、

桜の花々に思いを重ね、

それぞれの春を思い思いに歩かれていらっしゃいます。

 

皆様方がこの春の温もりのように、穏やかな日々を過ごせますように、 

桜の花に願いを込めさせていただいております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

令和5年3月

 

 

本日は東林寺天満宮へご参拝いただきまして有難うございます。

 

早いもので今年も三月となりました。

今月の下旬には境内の桜の花が咲き誇り、

老いも若きも女性も男性も花見をされたい方が多くお越しになります。

 

皆さまそれぞれの春が明るく穏やかでありますように、

桜の花に願いを込めさせていただいております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

 

9月

 

本日はお参りいただき有難うございます。

 

九月は別名、菊月とも呼ばれております。

旧暦では九月が菊が咲く季節であることから菊の名がついたとされています。

 

9月9日の重陽の節句に際しましては、

菊の花びらを日本酒に浮かべました、

菊酒を飲まれて日々の健康と開運をお祈りされてはいかがでしょうか。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

7月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

早いもので今年も七月を迎えました。

先日、私は庭先にて梅干しの天日干しをいたしました。

 

梅干しは世界一の保存食品・アルカリ性食品と言われるほどのスーパー食品で

お弁当に入れて頂ければ、防腐効果は間違いなしで

夏バテをした際や肉料理が多く体内が酸性になりがちな食生活の時には一粒召し上がって頂ければ

体がアルカリ性に維持され、日々健康に過ごすことが出来ます。

 

皆様方におかれましては、どうぞ無理をなされず

涼しい夏の過ごし方をお楽しみいただければと存じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

命はなぜ繰り返し宿るのか

 

 

 

 

誰しもが

宇宙の

神の

法則により

生き死にを

くりかえす

 

時間の流れがあるようで

まるでない

 

はるか彼方

遠い昔 

前世の頃に見た

 

朝日の輝きを

自然の営みを

夕暮れの移ろいを

 

今日も見て

祈り感謝する

 

くりかえす転生の中で

どれだけあなたの輝きに

近づけるのだろう

 

 

 

 

 

六月

 

時代の流れの中で目まぐるしく生きている私たちですが、

花々は遠い昔から変わることのない美しさを見せてくれます。

 

「念ずれば花開く」という言葉がございますが、

花は一瞬にして咲くのではなく、大地から養分を吸収し、

葉を繁らせ成長し、その上で真っすぐ一筋に花を咲かせます。

 

真っすぐ一筋に咲く花のように私も生きていきたいと

強く念じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

令和3年12月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

「歳月は人を待たず」とは言いますが、慌ただしく進む時代の流れの中でも、

心にゆとりを持つために日々工夫をし、努力することが私たちにとって大切なことであると存じております。

 

本年も残すところ一月となりました。

皆様方におかれましては心身が健やかで、この年内に災い無く、素晴らしい新年を迎えられますことを

心よりご祈念致しております。

本日はようこそお参り下さいました。

 

小郡市のパワースポット、津古の八龍神社

 

小郡市の津古八龍神社は、西鉄 津古駅の西側に隣接した由緒ある神社です。

境内の北側には公民館と駐車場があり、車で参拝に来られた際にはその駐車場に停めることができます。 

 

 

第一番目の鳥居をくぐり、階段を上るとすぐ右側に観音堂があります。

お堂の中には立派な観音様の像が祀られています。

 

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令和3年11月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

朝夕の冷え込みに、季節の移ろいを実感しております。

この時期、木々は冬に向けて内部の養分を枝先から根元に戻し、葉を落葉させます。

私たちも、この時期には生活の中に一息つく時間を作り、これまでの生活をじっくりと振り返ることが、これから先の日々をより良い方向進むために重要なことであると存じております。

 

昼夜の寒暖差に体調を崩されませぬよう、くれぐれもご自愛されまして日々をお過ごしください。

本日はようこそお参りくださいました。

 

令和3年7月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

早いもので今年も七月を迎えました。

この時期、植物たちは体内に養分を蓄えるために、

一年の中で最も葉を茂らせ、生命力に満ちた状態になります。

 

これから暑い日々が続きますが、

気持ちが滅入ってしまわないように、

自然の中で心地よい涼を受けていただき、

気持ち軽やかに、ご自愛の上、

日々をお過ごしいただければと存じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

一石一字の塔と有馬藩主

 

東林寺天満宮の一石一字塔(いっこくいちじのとう)は、久留米・有馬藩の七代当主である有馬頼徸(よりゆき)公(1714~1783)の生母盛徳院の志を奉じて建立された石塔です。

 

塔下に頼徸の武運長久と国家安泰を祈念して東林寺の僧徒二百余名が、大乗妙典を一石に一字づつ書いて埋めていました。

 

一石一字の一部は現在も当天満宮に保存されています。

 

 


久留米藩七代藩主 有馬 頼徸(ありま よりゆき)とは

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令和3年3月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

日々、与えられた恩によって生かされていると感じております。

 

先日私は、実家の庭先にモクレンと梅の苗木を植えました。

穴を掘り、土を混ぜ、十年後の姿を想像して、苗木が立派に育つように心を込めて、土を被せました。

 

翻って自分自身のことを考えた時に、今があるのは、

これ迄の周囲からの援助や恩があったからこそだと感じました。

これ迄にいただいた恩に対して、しっかりと恩返しができるように、

 

日々精一杯のご奉仕をしていきたいと思います。

本日はようこそお参り下さいました。

 

筑紫野の旅路

 

『寝ても又 覚めても辛き 世の中に 有る甲斐もなき 我が住まいかな』

 (寝ても覚めても辛いこの世の中に、私は生きている甲斐もないのに、ただ生きているだけであることよなあ。)

 

 

 

『憂(う)しという 世に住みながく 露の身の 消えてはかなき 身をややつさん』

 (思うようにならないつらい世に永く住んでしまった私、この身は、はかなく消えてしまう露のようなもの、ああ、いっそ露になりたいものだ。)

 

 

 

『憂(う)きことの 夢になり行く 世なりせば いかで心の嬉しからまし』

(つらいことが夢になってしまう世であったならば、どんなにか嬉しいことであろうか。)

 

 

 

『焚くままに霞(かすみ)の衣 重ね着て 花の紐をば いつか解くべく』

(香をたきこめた花霞の衣を幾重にまとった山も、吹き来る風でいつか霞が晴れる時も来るであろう。そのように私の罪もはれる日がきっと来るであろう。)

 

  

菅原道真公 詠

 

心の「鉄柵」の日

 

神々の島と呼ばれるインドネシアのバリ島には「Pager Wesi/パゲルウェシ(鉄柵の日)」という祭日があります。本日2月3日がその祭日に当たります。

 

 

バリ島のヒンズー教では、誰しもが、外から悪・ネガティブなものが心・言葉・行為の中に入らないように、「心の柵」を持っているとされています。

 

そしてそれは、自分自身の知識と信仰が「心の柵」を鉄柵のように強くするのだそうです。

 

全てはバランスであり、正しい「心の柵」を持ってこそ、自分自身の内と外との調和が保て、それが愛する人との調和、家族との調和、社会との調和へと繋がっていきます。

 

 

この「鉄柵の日」という祭日は、「心の柵」の内側にある汚れを取り除き、外から悪・ネガティブな力が、私たちの内側に入らないように、心と魂を強化する祈りを捧げるための日です。

 

 

パゲルウェシは、新田の水曜日(バリのパウコンカレンダーシステム(Balinese Pawukon calendar system)の最初の週)で210日ごとに祝われます。

 

 

 


台湾の基隆神社

 

基隆神社は台湾の基隆市にかつて存在した神社です。

 

基隆市は、日本の統治時代に、石炭を中心に物流の拠点を担った基隆港がありました。敗戦後、多くの日本人はここから帰国しました。歴史的にも日本とのかかわりが深い場所です。

 

基隆神社は、1912年に大物主命と崇徳天皇を祀り、基隆金刀比羅神社として建立されました。そして1914年には、天照大神、造化三神、北白川宮能久親王を合祀して、基隆神社と改名されました。

 

北白川宮能久親王は台南で殉職した皇族方で、台湾各地の神社で祀られました。

 

 

 

 

現在、基隆神社が建立された場所は、「中正公園」として整備され、そこからは基隆港が見渡せます。

 

貨物船や大型旅客船も停泊するこの港。台湾の北側に位置し、日本に一番近い港です。台湾を代表する国際港で近くに国際線の旅客ターミナルもあります。下の港から眺めるのもいいのですが、上から湾内を一望できる「中正公園」からの景色は絶景です。

 

 

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令和3年2月

 

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

新型コロナウイルス感染症の状況が未だ収まらず、

私たちの生活に多くの影響が出ております。

 

私はこのコロナ禍の状況によって、これまでの自分自身を見つめ直し、

反省する機会が与えられたと感じております。

皆様方が一早く元の生活を取り戻され、ご家庭がご安泰であり、

皆様方それぞれの目標に向かって充実した人生を送られますことを共に祈っております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

今年の旧正月は2月12日

 

日々の月の満ち欠けがちょうど新月(暗月)になる

今年の2月12日は伝統的正月・旧正月に当たります。

 

旧正月とは、太陰暦・旧暦の正月で、

新月が1日、満月が15日といった具合に、

月の満ち欠けで暦が付けられています。

 

日本以外のアジア諸国では、特にこの旧暦の正月を重視してお祝いがされておりますが、

日本でも昭和25年頃迄は主にこの旧正月を伝統的正月として祝っていたようです。

 

皆さま方におかれましても新暦の正月と同様に、

伝統的正月である旧正月もご家族揃ってお祝いをされますと、

ご先祖様の御加護も二倍にいただけることと存じております。

 

本日はようこそご参拝くださいました。

 

 

 

正月

 

謹んで新年の御祝詞を申し上げます。

 

本年が皆様方にとりまして、災いなく幸多き一年となります様

心よりご祈念いたしております。

 

当神社、また全国の神社でも同じではありますが、

社殿には御神体の鏡が置かれております。

 

この鏡とは一体どういったものであるのか。 

 

この鏡についての考え方ですが、神様とは光のような存在である、

とお考え頂ければよろしいかと思います。

 

朝日でしたり、夕日でしたり、自然の光を浴びることによって

心が清められ、体に力が漲ってくることと思います。

 

そういった自然の光から、神様のお力を頂かれまして、

ご先祖様のお守りのもと、明るく晴れやかな一年をお過ごしいただければと存じております。

 

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

12月

本日はご参拝いただきまして有難うございます。

 

早いもので、今年も残すところ一月となりました。

昨年の今頃は、これほど世の中が激動することになるとはとても想像がつきませんでした。

かつての生活の中に当然のようにあった日々がどれほど貴重なものであったかを強く思い知らされます。

 

私たちに与えられた日々の時間を、神様に祈り、感謝をして生きていくことが、

私たちができる人生に最善を尽くすための重要な方法であると信じております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

 

 

 

アーユルヴェーダに秘められた力とは

 

アーユルヴェーダ(Ayurveda)は、寿命・生気・生命を意味するサンスクリット語の「アーユス」と知識・学を意味する「ヴェーダ」の複合語です。医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含んでおり、病気の治療と予防だけでなく、より善い人生を目指すことを表す言葉でもあります。

 

 

 

 

アーユルヴェーダとは、「トリ・ドーシャ」と呼ばれる3つの要素「ヴァータ」「ピッタ」「カパ」が私たちの心身の健康を支配していると考えており、これがアーユルヴェーダの根本理論です。

この3要素(体液、病素)のバランスによって一人ひとりの体質が決まっており、バランスが崩れることによって病気になると考えられています。

 

不調が生じたとき、体質ごとに対処法が異なるので、まずは、自分のドーシャバランスを知ることが大切です。

 

  

アーユルヴェーダは、健康の維持・増進や若返り、さらには幸福な人生、不幸な人生とは何かまでを追求しています。文献の研究から、ひとつの体系としてまとめられたのは、早くても紀元前5 - 6世紀と考えられています。古代ペルシア、ギリシア、チベット医学など各地の医学に影響を与え、インド占星術、錬金術とも深い関わりがあります。

 

 

体系化には、宇宙の根本原理を追求した古層のウパニシャッド(奥義書,ヴェーダの関連書物)が重要な役割を果たし、バラモン教・六派哲学に数えられるサーンキヤ学派の二元論、ヴァイシェーシカ学派の自然哲学、ニヤーヤ学派の論理学も大いに利用されました。

  


  

アーユルヴェーダは、心、体、行動や環境も含めた全体としての調和が、健康にとって重要とみています。このような心身のバランス・調和を重視する考え方を、全体観(英: holism)の医学という。古代ギリシャの医師ヒポクラテスに始まり、四体液の調和を重視するギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)や、陰陽・五行のバランスを重視する中国医学など、伝統医学の多くが全体観の医学です。

 

病気になってからそれを治すことより、病気になりにくい心身を作ることを重んじており、病気を予防し健康を維持する「予防医学」の考え方に立っています。心身のより良いバランスを保つことで、健康が維持されると考えた。具体的には、五大(5つの祖大元素)からなるヴァータ(風)、ピッタ(胆汁・熱)及びカパ(粘液・痰)のトリ・ドーシャ(3つの体液、病素)のバランスが取れていること、食物の消化、老廃物の生成・排泄が順調で、サプタ・ダートゥ(肉体の7つの構成要素)が良い状態であることが挙げられます。

 

また、古典医学書『チャラカ・サンヒター』では、生命(アーユス)は「身体(シャリーラ)・感覚機能(インドリヤ、五感)・精神(サットヴァ)、我(アートマン、自己、魂、真我)」の結合したものであると述べられており、身体や感覚器官だけでなく、精神面、さらに魂と表現されるような根源的な面が良い状態であることも健康の条件となります。特に食事が重要視されており、生活指導も行われ、睡眠や排泄、セックスなどの自然な欲求を我慢することは、病気につながるとして戒めています。

 

 

治療には大きく2つがあり、1つは食事、薬、調気法や行動の改善でドーシャのバランスを整える緩和療法(鎮静療法)、もう1つは増大・増悪したドーシャ(体液)やアーマ(未消化物)、マラ(老廃物)などの病因要素を排泄する減弱療法(排出療法, 浄化療法)である。減弱療法では、パンチャカルマ(5つの代表的な治療法、2種類の浣腸・油剤・下剤・吐剤)と呼ばれる治療法がよく知られています。根源的・霊的な面の治療として、ジョーティシャ(インド占星術)やマントラ(呪文)、宝石を使った治療もあります。

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「久留米藩主有馬家墓所」が国の史跡に 福岡・久留米市史跡

以下、産経ニュースより抜粋

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d4ce595cb24208d8866444d2e055bf0bbd275df

 

 

国の文化審議会は、福岡県久留米市の「久留米藩主有馬家墓所」を国の史跡にするように萩生田光一文部科学相に答申した。大分県宇佐市の古墳時代の遺跡「小(こ)部(べ)遺跡」など12件のうちの1件で、近く正式に指定される。

 

 久留米藩主有馬家墓所は、江戸時代に久留米藩を治めた有馬家歴代の墓所。菩(ぼ)提(だい)寺である梅林寺境内に霊廟(れいびょう)や石塔などが良好な状態で残っている。元和7(1621)年、久留米に入国した初代藩主、豊(とよ)氏(うじ)が創建。10代頼永まで霊(たま)屋(や)と呼ばれる霊廟や3層の石塔を建て歴代藩主を供養してきた。このため、近世大名の墓制の変遷を知る上で貴重な史跡とされた。

 

 霊屋5棟は2年前に国重要文化財(建造物)に指定されている。久留米市文化財保護課によると、史跡と重文の「二重指定」を受けた大名墓所は、松代藩主真田家墓所(長野市)に続き2例目。梅林寺の東海大玄住職(67)は「来年は有馬氏が丹波福知山から久留米に入国して400年。寺の創建も400年の節目になる。今後もしっかり墓所を守っていきたい」と語った。

 

同市は有馬氏の久留米入国400年の記念イベントを計画しており、「開催に向け弾みがつく」と歓迎している。

 

小郡市のパワースポット、御勢大霊石神社

 

先日、福岡県小郡市にある御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)に行ってまいりました。

西鉄大保駅から東に700mほど行った場所に鎮座しています。地元の人たちからは「大保神社」と呼ばれ親しまれています。

 

福岡県道88号線を走っていると、道路沿いに突然現れる大きな鳥居と、広く趣のある境内がとても印象的で心に残ります。

 

 

御勢大霊石神社は、主祭神は足仲彦大神(あしなかつひこのおおかみ=仲哀天皇)で神功皇后ゆかりの神社です。副祭神は、天照皇大神・八幡大神・春日大神・吉富大神(738年の創建者)です。

 

 

境内はきれいに清掃されていて、池と太鼓橋が有ります。

池には立派な錦鯉が泳いでいます。鯉のエサも一つ100円で売っていますので、家族連れで行くと子供が喜びそうです。

 

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新千歳空港に程近いパワースポット、千歳神社

北海道旅行の最終日に千歳神社にお参りしました。

 

神社の正面にとても大きな鳥居が立っていますので、見逃すことなく到着。

参道に車を止めて、拝殿に向かいます。

 

 

千歳神社は北海道でも有名な神社でパワースポットとしても知られています。万治元年(1658年)に弁天堂が建て、享和3年(1803年)思古津稲荷大明神(千歳神社の前身)が建立されたのが始まり。大正6年(1917年)には稲荷神社から千歳神社へと名称も変更になり現在に至ります。

 

 

参道を100mほど歩きましたら、二番目の大きな鳥居があります。

鳥居の横には立派な社務所が。お守りはここで授与できます。

 

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北海道の絶景~遥かなる草原、開拓の道~

先日、2泊3日で北海道まで行って参りました。

 

新千歳空港で、レンタカーに乗り、札幌市・旭川市・帯広市を巡りました。

写真は、旭川市から帯広市に向かう最中に見た光景です。

 

 

美瑛町で見たなだらかな丘陵の美しい田畑の光景です。

美瑛町は、「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。

 

 

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旭川市の神楽神社

旭川市から富良野市まで国道237号線を通って、車で走っていますと左側に突如、鮮やかな神楽神社の鳥居が出現します。

 

 

車から降り、参道を歩いて拝殿まで向かいました。

鳥居から配電まで、とても長い参道で、木々に囲まれ、歩いていてとても気持ちがいいです。

 

 

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旭川市の学問の神様、旭川天満宮

旭川天満宮は、学問、芸術、文化の神様として崇敬される菅原道真公をお祀りする神社です。昭和41年7月17日に太宰府天満宮の西高辻信貞宮司参向のもと同宮よりご分霊を勧請し、上川神社境内社・旭川天満宮として鎮座しました。

 

この社殿をはじめ基礎、玉垣、鳥居、社号標等々、御鎮座に要した費用の全ては市内の故福多仲蔵氏が、80歳の長寿の神恩感謝と旭川全市の学生生徒を元気づけ学業達成、念願成就をかなえさせたいとの思いから奉納されたものです。

 

 

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エゾリスと戯れる、旭川市の上川神社

 

上川神社は、旭川市内を望む丘、「神楽岡」に鎮座しています。神社を含む神楽岡公園は、開拓以前の原初の森の姿を保ち、面積は約44.5haと同規模の都市として市街中心部にこれだけの森林が残されているところは なかなかありません。

 

創祀当初は現在の旭川駅付近、次いで現旭川市役所付近、宮下21丁目と市街の発展に伴い鎮座地が移り、大正13年には現鎮座地へと移転、今に至ります。 この「神楽岡」という地はかつては、天皇陛下のお住まいの皇居以外の宮殿である「離宮」の建設計画があった場所でした。

 

旭川のまち作りに力を尽くされた先人達は、明治26年7月上川地方開拓守護・旭川の鎮守として、義経台と呼ばれた現在の旭川 駅付近の高台(現在の宮下通4丁目から7丁目)に天照皇大御神をお祀りしました。鉄道の設置やまちの発展にともない、明治31年に神社を6・7条通8丁目に、同35年宮下通21丁目にお移しし、その後、御祭神に大己貴大神・少彦名大神を 大正13年6月6日神々が鎮まる適地として、かつて上川離宮建設が決定された神楽岡に神社をお移ししました。

 

 

 

 

 

 

 

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英彦山神宮の銅鳥居と旧亀石坊庭園

 

英彦山神宮の銅鳥居は、寛永14(1637)年、佐賀藩主の鍋島勝茂の寄進により建てられたもので、高さ7m、柱の周囲は3m余りもある胴の太い青銅製の鳥居です。

 

柱は青銅製の円筒6個を積み重ねてできています。『英彦山』の扁額は、享保19(1734)年に霊元法皇の勅命を受けて京都から運ばれて架けられたもので、この頃から「英彦山」と称されるようになったといわれています。

  

 

※英彦山は、天照大御神(日の神)の御子神である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が鎮座する山として、「日子山(ひこさん)」と呼ばれていました。その後、弘仁10(819)年に嵯峨天皇の詔勅により「日子」の2文字が「彦」に改められ、享保14(1729)年には、霊元法皇の院宣により「英」の1文字を賜り「英彦山」となりました。

 

 

 

指定名/英彦山神社銅鳥居(ひこさんじんじゃかねのとりい)

指定種別 国・重要文化財(建造物)

指定年月日 昭和14年10月25日

製作年・時代 寛永14年(1637)

員数 1基

構造等 青銅製明神鳥居

所在地 添田町大字英彦山 英彦山神宮参道

備考 「英彦山神社」は、昭和50(1975)年6月24日に「英彦山神宮」に改称されました

 

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日本で最も美しい村~星野村の棚田と浮羽の調音の滝

 

八女市星野村を代表する景観の一つに石積みの棚田があります。この棚田は、永い年月を費やし、山をクワで切り開き、山石を一つ一つ積み上げ造られたもので、星野村の至る所で見ることが出来ます。

 

星野村は、高級茶の生産地として全国的に高い評価を得ていると共に、先人から受け継いだ石積みの棚田の価値及び、保全に取り組む活動、更には地域づくり活動が高く評価され、「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。

 

 

星野村から県道52号線を走り、合瀬耳納(おうぜみのう)トンネルを抜け、うきは市に出ると、すぐの所に「調音の滝」があります。

 

 

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浮羽稲荷神社~絶景を一望できる、うきは市のパワースポット

 

福岡県うきは市に鎮座する浮羽稲荷神社に行ってまいりました。

星野村から県道52号線を走り、合瀬耳納(おうぜみのう)トンネルを抜け、うきは市に出ると、突然、山伝いに連立する鳥居が目に入ります。

 

浮羽稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社、松尾大社、そして福岡の太宰府天満宮の三神が祀られた由緒ある神社です。また近年、絶景の景色が楽しめる場所としても有名になりました。 

 

 

浮羽稲荷神社の最大の特徴は、急斜面に造られた階段に沿って延々と鳥居が連なり、絶景の景色を楽しめる点です。鳥居の数は何と91基! 近年はインスタ映えスポットとしても注目され、参拝者だけでなく多くの若者も訪れます。

 

 

 

参道の階段は300段ほどある長い階段で、上りきるには軽いハイキング程度の運動量が必要。体力に自信がある方は、参道入り口から登ってみるのもいいと思いますが、体力に自信のない方は車で拝殿の前まで上がることが出来ます。

 

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室山熊野神社~星野村随一のパワースポット

 

先日、星野村の室山熊野神社に行った来ました。

八女市から星野村に向かって県道52号線を走っていきますと、星野市役所前に大きな鳥居があります。

 

観光案内の看板にも載っていますので、場所は分かりやすいと思います。

 

 

駐車場から参道まではそんなに遠くありません。階段も駐車場からなら途中からで、遠くは感じませんでした。

 

雰囲気と空気感がとてもいい所です。歴史や成り立ちも面白く、三途の川の橋、心字池、奇岩、大岩、大杉、門などなど、観る所感じる所が沢山あります。

 

 

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宝満山 登山~竈門神社から山頂まで~

宝満山(ほうまんざん)は福岡県筑紫野市と太宰府市にまたがる山で、別名を御笠山(みかさやま)、竈門山(かまどやま)とも言います。

標高は829.6mです。

 

山頂の眺望は抜群で、西から脊振山地の山々、博多湾・玄界灘・三郡連山(砥石山・三郡山・頭巾山・仏頂山・宝満山)・英彦山・古処山・馬見山・津江山地・九重山の山々・福岡・筑後・佐賀の三平野・有明海の彼方に雲仙岳も遠望でき、稜線沿いに仏頂山・三郡山へと至る道は人気の高いハイキングコースです。

 

 

宝満山には数多くの登山道がありますが、太宰府側・竈門神社からのものが登山者が多いです。

 

古くから大宰府と密接に関わった歴史があり、古代から近世の遺構が多く残っており、日本の山岳信仰のあり方を考える上で重要な山として、2013年10月17日付で文化財保護法に基づく史跡に指定されました。

 

 

 

竈門神社からの登山道は初めは緩やかな道が続きますが、中盤になるにつれて勾配が急になり、中々ハードになります。

 

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英彦山 登山~英彦山神宮 上宮から鬼杉まで~

 

英彦山の中岳山頂から、南岳を下山しながら鬼杉を目指しました。

 

かなりハードな鬼杉ロードでした。屋久杉は樹齢1000年以上のものを言うのですが、鬼杉の樹齢は1200年とのことです。

登山道は、奉幣殿から直接鬼杉に向かえばそれほどきつくはないと思います。

 

 

多くの修験者たちが歩いた道のりです。

始めは緩やかな下り坂でしたが、途中からかなり険しい道のりになりました。

時折見える山々の景色からは、感動と癒しを得ることが出来ます。非常に神聖な森です。

 

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英彦山 登山~英彦山神宮 奉幣殿から上宮まで~

 

先日、数年ぶりに英彦山の登山に行ってまいりました。

英彦山神宮には午前11時頃に到着。その後、正午に上宮を目指して登山を開始しました。

 

 

 

英彦山の山頂から中腹までには、上宮・中宮・下宮・奉幣殿が鎮座しています。

特に奉幣殿は細川忠興公の寄進によるもので、国宝に指定されており、近くには、高住・玉屋各神社、銅の鳥居などが杉木立の中に点在しています。

 

 

 

奉幣殿から1km位はひたすら急な勾配の階段を上がっていきます。

息が切れてしまうので、5分おき位に休憩をしながら、登っていきます。

 

 

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8月

どのような困難な境遇であっても、

そこでしかない重要な気づきや発見がございます。

 

そういったことを大切にして日々を過ごすことができれば、

人生はより幸福なものになると存じております。

 

本日はようこそお参り下さいました。 

 

幸せと感謝

 

幸せを感じる場所


すべてが繋がっていて

すべてが一つであることに

気付くことが出来る場所

 

 

喜びや悲しみ、苛立ち、信念、

それらを超えたところに感謝がある

人はみな、迷いの中に生きている

人はどんなに立派な人であろうと、完全な人間はいません。人はみな、迷いのある者として生まれてきます。

 

しかも人は、この世に生まれたら、最後は必ず死ぬことになります。

 

ひたすら働いて、他人に迷惑をかけないように真面目に暮らしてきた人も、老いとともに体力がなくなり病気がちになり、他人の世話にならないと命を保てなくなります。

 

苦しい思いをしながら得た数多くの経験や、一所懸命に勉強してようやく身につけた知識や知恵も、息が絶えると同時に全て消え失せてしまいます。

 

どんなに天才でも、徳の高い人でも、これだけはまぬがれません。生きるということは、つまり死に向かうことなのです。

 

 

私は幼い頃、自分のいるこの世界が不思議でなりませんでした。空の果て、宇宙の果てはどうなっているのだろう、人間はなぜ生まれてなぜ死ぬのだろう、死後の世界はあるのだろうかなど。

 

このような疑問は、大人になったからといって失ってしまうものではありません。ただ、大人になると日々の慌ただしい生活のなかで、忘れてしまうだけなのです。

 

7月

 七月は夏に向けて自然の生命力がみなぎる時です。

 

私たちが口にする食べ物は、

元を辿ると、一粒のタネから生まれたものです。

 

タネには自らの生命を未来につないでいこうとする力が秘められ、

様々な環境の変化にも適応しながら、

自らを成長させていきます。

 

私たちの先祖はその力と共に繁栄し、

豊かな文化を育んできました。

 

自然を尊び生きていくことが、

私たちに最も大切な事であると存じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

 

誰の人生にも「四苦八苦」がつきまとう

生きていると、楽しいことや嬉しいことより、苦しいことや悲しいことのほうが多いように思われます。

 

「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がありますが、これは仏教用語で、人生は思い通りにならない苦しみばかりのものである、という世の中の条理を説いたものです。

 

お釈迦さまは若い頃に王宮から外に出られて、老人や病人、死者、修行者達と出会い、世の中は苦しみに満ちたところであるということを身にしみて感じられました。

 

そして、自分の力ではどうすることもできない「生老病死(しょうろうびょうし)」という人間の根本的な苦しみの問題を解決したいと願われて、出家されたと伝えられています。

 

「生老病死」は私たちにとって、避けられない苦悩ですが、さらに味わう苦悩が次の四つです。

 

【愛別離苦(あいべつりく)】

親子や兄弟、夫婦、友人など、愛する人々と別れなければならない苦しみ

 

【怨憎会苦(おんぞうえく)】

嫌な人や憎らしく思う人と出会ってしまう苦しみ

 

【求不得苦(ぐふとっく)】

お金やもの、地位や名誉など、求めているものが得られない苦しみ

 

【五蘊盛苦(ごうんじょうく)】

人間としての精神と肉体を持っていることによって生まれる苦痛

 

生老病死の「四苦」に、これらの苦しみを加えたものを「八苦」といいます。よく耳にする「四苦八苦」という言葉はここからきています。多かれ少なかれ、全ての人には、この四苦八苦がつきまとうのです。

 

神道の世界観~神社から見えてくる日本人の歴史~

 

1 神道とは公的には、

「神道は、教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などに基づくアニミズム的・祖霊崇拝的な日本の民族宗教である。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。伝統的な民俗信仰・自然信仰・祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。」

 

と定義されています。

 

上記のとおり、教祖もおらず、正典もなく、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『先代旧事本紀』、『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされています。

 

 

神道とは、

⑴ 森羅万象に神が宿る、宿っていると考えます。
気象、地理地形等の自然現象に始まり、あらゆる事象に「神」の存在を認めます。いわゆる精霊と言った方が現代人には分かりやすいです。それが「八百万の神々」です。

 

⑵ 生前の人物を、その没後、神として祀ります。
人間も死後は神になるという考え方で、一族の先祖を神様(祖霊崇拝、氏神信仰)とし、また社会的に突出した人や、地域社会に貢献した人を神様として祀り、逆に国家に反逆し戦乱を起こしたり、不遇な晩年を過ごした人が死後怨霊(平将門、菅原道真など)として祟りをなす人も神様とし、これを鎮めることになります。

 

ただし、神様同士が相争うことはいたしません。他の宗教には他の教えを邪教としたり、他の宗教の信者は奴隷にしても良いなどということは一切ありません。神道の神々の皆様はとても平和的で、1年1回の神無月には一堂に集まられ話し合いをもたれるとされるほどです。

 

⑶ これらが奈良時代仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成される神仏習合を生むことになります。

 

⑷ まさに成り立ちそのものが複合的です。

 

 

2 仏教では宗教活動として仏教では読経、キリスト教では説教を重視します。仏教でもキリスト教でも経典に全て書いてある立場ですから、説教や読経になります。
  

しかし、神社では、そうなりません。そもそも神道の神様とは、自然そのものであったり、精霊であったり、ご先祖様であるのですから、自然とその神羅万象を感じ取り、その中で人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などにはお礼をしたりするのが、神道の神様なのです。神道の神様は、とても身近な存在で、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」なのです。

 

従って、神職の仕事とは、氏子、信者のお願いや感謝の気持ちを神様にお伝えすることなのです。お祭りは、その氏子、信者のお願い事や感謝の気持ちを神様に丁寧にお伝えするため、儀式として行われる信仰行為、宗教活動そのものなのであって、神職にとって自分自身の修行なのです。

 

 

3 神道は、このようは宗教ですから、精霊が集い、神様との接点である神社は清浄に保たなければなりません。
神社という清浄な空間を守るために、掃き清めることも重要な宗教活動です。神職は掃除は作業ではないと考えております。
まさに神社を掃き清めるという宗教活動があることが、神道の宗教としての特質であることは既に述べたことから分かっていただけると思います。世界の他の宗教にはこのような活動がみられませんが、掃除こそが神道の宗教活動の特質を示しております。

 


4 神道の教えの特色は穢れ(けがれ)からの守りです。
古来の日本から、疫病やウイルスの侵入を止めなければならないという大切な経験が穢れを防ぐという神道の教えになっているのです。参拝の前に手を水で浄める、水浴するという神道の行為が、例えばコロナ対策にどれだけ手洗いとして励行されているかを考えていただければ、分かっていただけると思います。

 

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誓い

 

清らかな朝の風のように、

生きづくものを目覚めさせ、

 

輝ける夕陽より仰ぎ見る大神様のお姿は、

私に生きる力を授けるものの全てであります。

 

我が身に受けたものは全て、

大神様より与えられた恩恵でありますので、

 

我が身を捧げ、

お返しする気持ちこそあリますが、

そこに見返りを求める思いは決してございません。

 

 

4月

 

どれほど多くの道があろうと、自分自身で歩める道は一つだけです。

どのような境遇にさらされようと負けずに花を咲かせる桜の姿からは、

一つの道の歩み方を教えられているようです。

 

この桜や自然の営みに心を寄せて、

心身穏やかに日々をお過ごし頂ければと存じております。
本日はようこそお参り下さいました。

 

 

 

11月

朝夕の冷え込みに、季節の移ろいを実感しております。

 

この時期、木々は内部の養分を枝先から根元に戻し、葉を落葉させます。

木の樹形を変えるような剪定はこの時期にすると木への負担も少なく、

春にはより美しく成長することができるそうです。

 

私たちも、この時期には生活の中に一息つく時間を作り、

これまでのあり方をじっくりと振り返ることが、

これから先の日々をより良い方向に導くために重要なことだと存じております。

 

昼夜の寒暖差に体調を崩されませんよう、くれぐれもご自愛されまして日々をお過ごしください。

本日はようこそお参り下さいました。

坂本八幡宮と新元号「令和」

かつて太宰府には、7世紀後半から12世紀前半にかけて地方最大の役所「大宰府」が置かれ、西海道(九州一体)の統治、対外交流の窓口、軍事防衛の拠点という重要な役割を担っていました。

 

大宰府の長官は大宰帥(だざいのそち)と呼ばれ、大伴旅人は727年ごろ大宰府へ赴任しました。大伴旅人は政治家としてだけでなく、歌人としても才を発揮した人物で、赴任した大宰府においても文人たちと交わり、山上憶良(やまのうえのおくら)らと共に優れた歌を残しました。後に「筑紫万葉歌壇」と呼ばれる華やかな万葉文化が、大宰府の地に花開いたのです。

 

天平2年(730年)正月13日、大伴旅人は自身の邸宅に大宰府や九州諸国の役人らを招いて宴を開催しました。当時、中国から渡来した大変高貴な花であった梅をテーマに歌を詠んだことから「梅花の宴」と呼ばれています。今回、元号「令和」の典拠となった文言は、この「梅花の宴」でよまれた32首の歌の序文になります。

新元号「令和」ゆかりの地 太宰府

新元号「令和」について

平成31年4月1日、日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」と決定しました。

天皇陛下即位に遇わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。

 

「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集(よろずのことのはあつめ)』に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にある

 

初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、

気淑く風和ぎ(きよく かぜやわらぎ)、

梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)、

蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。

 

の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号となっております。

 

太宰府市のコメント(要約)

4月1日に発表があり、新元号が「令和」と決まりました。その典拠は役300年前に、ここ太宰府の地で行われた「梅花の宴」を記した、『万葉集』「梅花の歌」32首の序文にあることが発表されたところです。このことは、新しい御代の始まりの慶びに加えて、太宰府市にとって大変光栄なことであり、地元市民をあげて喜んでおります。この「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の撰者・大伴家持の父であり、大納言も歴任した、奈良時代はじめの政治家として有名な大伴旅人です。彼は、神亀四(727)年頃、大宰府の長官(大宰帥)として赴任し、天平二(730)年正月十三日に、大宰府の役所が管轄した西海道の官人たちを、自ら住まう邸宅に招き、この宴を開きました。新しい御代が、「令月」の如く清新で「和(やわらぐ)」時代となることを祈念致します。

 

 

到底計り知れない

 

今日も朝日に照らされて

新しい一日が始まる

 

今日も夕日に照らされて

一日の行いを省みる

 

やりきれない気持ちで終わる一日

満たされた気持ちで終わる一日

 

この身体では

到底計り知れない

 

地球を

宇宙を

心で感じ

魂でつながる

 

 

六根清浄の大祓

 

六根清浄の大祓(ろっこんしょうじょう の おおはらえ)とは、山々で修業を行う者が、心身を清めるために唱える言葉です。「六根」は私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官をいいます。

 

「六根」=すべての迷いから醒めて、「清浄」=清らかで汚れがない境地に到達するために唱えます。

この言葉の中には、非常に重要な真理が込められていますので、この言葉に親しみ日々を過ごすことが、充実した人生を送るためのヒントになります。

 


 

 

六根清浄の大祓

 

 

天照皇太神の宣はく

(あまてらしますすめおおみかみ の のたまはく)

 

人は則ち天下の神物なり

(ひとはすなわち あめがした の みたまものなり) 

 

須らく掌る静謐心は則神明の本主たり

(すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみと かみとの もとのあるじたり)

 

心神を傷ましむること莫れ 是の故に

(わがたましいをいたましることなかれ このゆえに)

 

目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず

(めにもろもろの ふじょうをみて こころにもろもろの ふじょうをみず) 

 

耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず

(みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず) 

 

鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず

(はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず) 

 

口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず

(くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず) 

 

身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず

(みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず) 

 

意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず

(こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず) 

 

此の時に清く潔き偈あり

(このときに きよく いさぎよき ことあり)

 

諸の法は影と像の如し 清く潔ければ

(もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ)

 

仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず

(かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず) 

 

皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち

(みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち)

 

六根清浄なり

(ろくこんしょうじょうなり) 

 

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

(ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり) 

 

五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり

(ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり) 

 

天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり

(てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり) 

 

万物の霊と同体なるが故に

(ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに) 

 

為す所の願いとして成就せずといふことなし

(なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし)

 

無上霊宝 神道加持

(むじょうれいほう しんどうかじ)

 

 

 

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四月

 

日々、誰かからの恩によって生かされていると感じる今日この頃です。

それは人からの恩であったり、自然からの恩であったり様々だと思います。

 

彼の地が私を呼んでいる、

そんなことを何気ない生活の中で

はっと感じさせられることがあります。

 

身土不二という言葉が表すように、

大地と私たちは一体であるということを強く意識すれば、

私たちは大自然のように強く偉大に生きられるのかもしれません。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

Kami is the shine.

Every Shinto Shrine, there is the mirror on the central of shrine.

It is the shimble of the Kami.

 

Kami is the shine like the sun. All plants want light for growth.

It is the same for us.

Rising sun and sunset are purifying us, and give the power to live.

 

三月

冬の寒さも落ち着き、春の兆しを感じるこの頃です。

この時期、木々は根元に戻していた養分を再び枝先に巡らし、新緑の葉を茂らせます。

皆様方におかれましては、それらの若葉から、みなぎる英気を頂かれまして、

日々健やかにお過ごしいただければと存じております。

 

当たり前の事ですが、自然と共に日々地道に生きることが、とても大切なことだと感じております。

日々食事を作って下さる人、日々掃除をしてくださる人、

そういった人たちに感謝とお礼を込めて、私自身の勤めにいそしんで行きたいと思います。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

与えた恩、受けた恩

 

与えた恩は水に流し

受けた恩は石に刻む

十二月

今年も残すところ1か月となりました。

「歳月人を待たず」という言葉がありますが、日々繰り返す朝日の輝きや、

自然の営みは、遠い昔から変わることはありません。

この自然の営みに感謝をし、祈りを捧げることが最も大切なことだと存じております。

 

これより先も、神様とご先祖様のお守りのもと、

災いなく、晴れやかな一年を迎えられますよう

ご祈念を致しております。

本日はようこそお参り下さいました。

正月事始め

「正月事始め」とは12月13日のことです。


煤払い(すすはらい) や餅つきなど、この日から本格的に正月を迎える準備をします。煤払い(すすはらい)は単なる大掃除ではなく、年神様を迎えるための神聖な行事として行います。


旧暦の12月13日は、二十八宿の鬼宿日(きしゅくにち)で、婚礼以外ならすべてのことが吉のめでたい日とされています。新暦になっても日時は変わらず、12月13日が事始めとして伝わっています。
昔は「松迎え」といって、門松やお雑煮を炊くための薪に必要な木を恵方の山へ取りに行く日でもありました。


・この日から正月の準備を始めます。
・煤払い(すすはらい)は、年神様を迎える神聖なものですので、まず神棚や仏壇の掃除をしましょう。

幸せとは何か―海外移住した富裕層が直面する不幸

 

以下、『海外移住した超富裕層が不幸にあえぐワケ』

(https://president.jp/articles/-/26650)より

 

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いくら金があっても日本に帰れない

 

資産5億円以上の「超富裕層」のなかには、税逃れのため海外に移住し、悠々自適の生活を送る人たちがいる。しかし、彼らの一部は幸せを享受できず、「日本に帰りたい」とこぼす者もいるという。なぜなのか。実名ノンフィクション『プライベートバンカー 完結版 節税攻防都市』(講談社プラスα文庫)で、超富裕層の実態を描いた清武英利氏に聞いた――。

 

超富裕層は真っ先にシンガポールを目指す

――超富裕層の資金を本人にかわって運用する「プライベートバンカー」。本書は、そんなプライベートバンカーとして、元野村証券のトップセールスマンからシンガポール銀行に転職した杉山智一氏の悪戦苦闘を中心に描かれた、実名ノンフィクションの完結版です。【清武】本書は、「2つの軸」が貫いています。1つは、大企業を飛び出した人間の成長物語です。

 

杉山さんは、野村証券から三井住友銀行、そして外資系銀行と転職を重ねました。野村証券でも三井住友銀行でも優秀な成績をおさめていたわけで、そのまま頑張っていれば少なくとも支店長にまで昇進していたでしょう。その人生だって十分魅力的なはずなのに、あえてチャレンジして、異国の地に身を投じた。
たしかに、トップセールスを記録したとはいえ、仕事に疑問を持って会社を離れた杉山さんは、日本的な企業文化から判断すれば、出世の王道からそれている。でも、作家としての私は、トップランナーよりも、抗う人生のほうに惹かれてしまう。
彼はいわばレールから外れた冒険物語の主人公なんです。そして成長の舞台となる、シンガポールという土地がまた興味深い。

 

オフショア、つまり外国人に対して、租税環境を優遇している国や地域は、マカオや香港などいくつかあります。中でも、日本の超富裕層が自国の税制から逃れるために向かうオフショアの代表格が、シンガポールでした。そこで生きる超富裕層の実態もまた、本書のもう1つの軸です。

 

 

 

――顧客の資産は30億円以上
バンカーの激烈な仕事ぶりはもちろん、本物の大金持ちの人生、具体的な資産運用や相続税対策、そして税逃れを取り締まろうとする国税庁の暗闘……読みどころ満載の1冊です。
【清武】取材が終盤に差し掛かった当時は、パナマ文書の問題が世間を騒がせており、資産家や大企業の税逃れに注目が集まっていました。では、やり玉に上がっている超富裕層とはどんな人たちなのか。その疑問を知っているのが、彼らの資産を実際に運用するプライベートバンカーだったわけです。まず確認しておくと、富裕層と呼ばれるのは、不動産などを除いた資産を1億円以上保有する人たち。対して、超富裕層とは5億円以上の金融資産を持っている人たちのことを指します。

 

ただし、プライベートバンカーが相手にする超富裕層とは、30億から50億円以上の資産を持っている人がほとんど。
杉山さんのような外資系銀行のジャパンデスクで働く人、つまり日本人向けのプライベートバンカーはまさに日本の超大金持ちの現実を知っているんです。

 

 

超富裕層は「幸せ」ではない?
超富裕層といっても、もちろんいろんな人がいます。シンガポールの永住権を得て日本の重い相続税を回避するため、莫大な資産を持ったまま何をするでもなく悠々自適に日々を過ごす人。はたまた数百億の資産を作って美しい妻と異国に移住した若きIT長者……。一生遊んで暮らしてもお釣りが数十億円も来るような富を持っている人を遠目で見て、うらやましいとため息を漏らす人もいるかもしれません。そんな人たちの生き方も描いたわけですが、しかし先に結論をいうと、彼らの多くは、どうも幸せそうには見えない。

 

 

 

――なぜ「幸せそうに見えない」のでしょうか。
【清武】少なからぬ人々が行き着くのが「継承」の問題です。つまり、いかに子どもたちに資産を残すのか、事業を継がせるのか。最後は家族の問題になるわけですが、そこに問題を抱えている人が多いんです。

 

「5年ルール」が「10年ルール」に
例えば、相続税。日本の相続税は最高税率55%と高いので、シンガポールなど税率の低い国で相続したい。
しかし、日本での納税を避けるためには、「5年ルール」をクリアする必要がありました。当然のことですが、家族ともども海外に5年以上居住して永住権を獲得しなければ、日本の税制からは逃れられないのです。

さらに年の半分以上を過ごさなければ居住と認められない暗黙の「183日ルール」もある。するとどうなるのか。5年間ただただ異国の地で時が経つのを待ち続ける生活、慣れない暮らしを強いられる。そのうちに家族のほうが耐えられなくて帰国してしまったり、夫婦仲や親子関係に問題が起こったりするんです。しかも、そのルールはいつ変わるかわからないわけで、実際に昨年(2017年)には5年ルールが「10年ルール」に変更になりました。「アチャー」と頭を抱えた人は多い。税逃れを見過ごすほど、国は優しくはありません。

税逃れに対抗する仕組みや制度がどんどん厳しくなっているという点でも、今は過渡期といえます。
さらに、本書で紹介した元病院長の中田七海氏のように、血縁を断って生きようとした結果、頼りのプライベートバンカーによって犯罪に巻き込まれる人も出てきます。

 

 


「やりたいことがない」のは不幸
――本書の「追跡章」でさらに詳しく語られるところでもありますね。
【清武】言ってしまえば、「上がりの人々」と言われる彼らには、真にやりたいことがもうないんです。私たちが楽しいと感じるのは、仕事を持ち、家族や友人を持って、「新しい仕事を成功させたい」「マイホームが欲しい」など、夢を実現させたいと考え、行動している時ではありませんか。
しかし、超富裕層で守りに入った人々は仕事も成功し、カネで解決できることはなんでもできてしまう。やりたいことがないのは、不幸ですよね。 

 

かつて日本でも「最高の人生の見つけ方」という映画が話題になり、死ぬまでにやるべきことを列挙した「バケット・リスト」が注目されました。夢を描いて、ひとつずつ実現することが人生の旅だ。あなたにそのリストはありますか、と映画は問いかけている。もちろん、超富裕層にもその問いは投げかけられている。
この映画では、最後に残ったリストの上位に「家族の幸せ」がある。富や税のために異国に渡り、そこで家族に逃げられてしまっては何のために生きているのか、と。

 

そして、取材して痛感するのが、どれだけカネを得ようが、「食べるものはさほど変わらない」ということです。

 

 

 

――超富裕層だってメザシと納豆の飯がいい
シンガポールには、日本食が手に入るスーパーの「明治屋」があり、駐在員はそこでパックの寿司や刺身、それに日本のビールを買って飲む夕食を楽しみの一つとしています。明治屋には超富裕層もやってきてメザシと納豆を買っていく。日本人としてDNAに刻まれた食の好みはきっと同じなんですよ。

 

日本人として生まれたのであれば、日本の空気や食の恋しさからは逃れられないということでしょうか。
【清武】ええ。そして、先ほどバケット・リストの話をしましたが、実は当人も気づいていない、「裏の1位」があります。故郷の土に眠りたい。畳の上で死にたい。つまり「日本で死にたい」ということです。
年をとって病気がちになれば日本の高度な医療を受けたくなるし、大事な人の死に立ち会えないことも増える。死が現実的になった時に、自分の死に方が脳裏をよぎるのではないでしょうか。

 

 

超富裕層でも、行き着くところは「普通の幸せ」なのかもしれません。
本書で彼らの人生を追って気づいたことは、大金持ちでも幸せとは限らない、いえ、大金持ちだからこそ、かなえることが難しい幸せがある――ということなのです。

 

 

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清武英利(きよたけ・ひでとし)
ノンフィクション作家。1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社入社。青森支局を振り出しに、社会部記者として、警視庁、国税庁などを担当。中部本社(現中部支社)社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年8月より読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され、係争に。現在はノンフィクション作家として活動。『しんがり』(講談社ノンフィクション賞受賞)『石つぶて』(大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など著書多数。

 

 

11月12日

 

天に光さえあれば他に何もいらない
そんな風に生きていきたい

 

敬神生活の綱領

敬神生活の綱領

 

神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基(もとい)である。

神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、

使命を達成する所以(ゆえん)である。

 

ここにこの綱領をかがげて向ふところを明らかにし、

実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。

 

 

一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと

一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと

一、大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること

 

 

 

食前感謝

 

たなつもの 

百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す

 日の大神の めぐみえてこそ

『いただきます』

 

 

 

 

食後感謝

 

朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 

神のめぐみを 思へ世の人

『ごちそうさまでした』

9月の講和

 植物は、太陽の光を求めて成長していきますが、

私たち人も本質的には植物と同様です。

 

今月、9月20日から26日まで、秋の彼岸期間ですが、

彼岸とは、日願(ひがん)、太陽に願う日の意味があり、

彼岸の中日である秋分の日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。

 

この期間は、先祖の魂と同様に太陽を祀る重要な意味があり、

「天に願いを通す」神聖(申請)な期間でもあります。

 

これより先も、皆様方が神様とご祖先の守護の下、晴れやかな日々を過ごされます様、

ご祈念を致しております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

  

朝顔


朝顔が上へ上へと

登っていく。

 

登った先には夏の空。

私もあんな風に登っていきたい。

生命の根っこ


天地同根、万物一体


生命の根っこはみんな同じ。


生き物が一体となって


宇宙の今を生きている。

神様を称える

私たちは神社でお参りをするときに、「二礼二拍手一礼」という作法でお参りをします。この二拍手にはどういった意味があるのかと思われる方もいらっしゃることと思います。

この拍手についてですが、古くは中国の『魏志倭人伝』という書物に、「日本人は、尊いものに対して拍手を打っていた」という記述があります。

この拍手とは、神様を称えるための拍手だと考えて頂いてよろしいかと思います。

神様を称え、日頃の感謝とお礼を申し上げる、これが神社で最も大切な、神様に対する考えかたであろうと思っています。

幸運が舞い込む「百福図」

「福」という言葉には幸運がやって来るなどの意味がありますが、この掛け軸「百福図」は漢字のつくりの異なった「福」が百文字書かれています。

 

人が幸福を感じる要素は何も一つだけではありません。
友人や恋人と共に食事をすること、好きな音楽を聴いて読書をすること、一人欲を張って富を握ること。

 

言い出すときりがありませんが、この百福図はそういった人々の幸福の多様性を表しています。

 

幸福が人それぞれであるならば、抱えている悩みも人それぞれです。
恋人を失った人、望んでいることが叶わない人、富と引き換えに孤独に陥る人。これも言い出すときりがありません。

 

ですが、立ち返るべき福は正にこの「福」の漢字にあります。福の左側の「ネ」(示)は、神をまつる祭壇の形を表し、右の部分は、品物が沢山入っている倉の形を表しています。

 

祭壇と物のつまっている倉をあわせて、「神の恵みに感謝をし、天に祈りを捧げること」を表しています。福の字にはこういった祈りを捧げることの大切さが込められているのです。

 

〜最後にこの「百福図」をご覧になった方に沢山の幸運が舞い込むことを祈念して〜

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久留米城内に鎮座する篠山神社

篠山神社(ささやまじんじゃ)は福岡県久留米市篠山町444番地に位置する神社です。

かつて久留米城があった所に社殿が建立されてあります。

 

久留米城は、約250年間、久留米地域を治めた有馬氏の居城で、その昔は笹原(ささはら)城の名で呼ばれていました。

今ではその見事な石垣や正面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができます。

 

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久留米市藤光町の光勝寺

久留米市には善導寺、大善寺、善通寺など、お寺の名前が地名になった例がありますが、
藤光町の光勝寺もその例の一つです。

 

現在も光勝寺の境内に「寺号復古記念碑」という碑があり、

それによれば、「今ヲ経ルコト千有余年」前の創建であったようです。

 

「光勝寺村」は、明治9年10月4日、藤田浦と合併し藤光村となり、

更に明治22年4月1日には、上津荒木村大字藤光となり、
昭和26年4月1日から久留米市藤光町となりました。

水天宮に鎮座する真木神社

水天宮の参道を歩いていきますと、右側に見えてくるのが真木神社(まきじんじゃ)です。

真木神社に祀られているのは、ここ水天宮の22代の宮司でもあった真木和泉守こと真木保臣をはじめ、一門及び門下生です。

 

久留米藩は21万石。黒田藩(福岡)と肥前(佐賀)、肥後(熊本)に挟まれた位置ですが、幕末は尊王攘夷思想でした。 水戸藩の天保学の影響を受けた水天宮の宮司、真木和泉がこの久留米藩の倒幕思想の精神的支柱でした。

 

彼が後世にその名を残すことになったのは、「蛤御門の変」です。
 長州藩の久坂玄瑞たちと共に、久留米藩の有志たちをひきつれて京の都に進軍しました。

しかし、事破れて天王山で自刃します。

 

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自然に生きる

実に優美に生きる野生の動物たち

空を飛ぶ鳥たちは明日のことを迷い煩うことはありません。

 

人は「自然」に近づくほど健康になり、
「自然」から遠のくほど病気になります。

 

「自然に生きる」野生の動物たちから学ぶべきことは沢山あります。

行動とメッセージ

あなたは常に「行動」をしています。挨拶も笑顔も、すべて行動です。

あなたにとっては行動なのですが、他の人にとっては違います。

それは「メッセージ」として受け止められるのです。

 

あなたが笑顔で挨拶する。

挨拶された人は、何らかのメッセージとして受け取るわけです。

そしてその人は、そのメッセージを受け取った上で行動します。

あなたは、それをメッセージとして受け取ります。

つまり、あなたが送ったメッセージが返ってくるわけです。

 

だから、あなたがどんな表情をしているかは、あなたの目の前にいる人の顔を見ればわかります。

あなたの目の前にいる人は、あなた自身の鏡なのです。

 

食のもつ力

私たちは食事の時に、「いただきます」「ごちそうさまです」をなぜ言うのでしょうか?

 

「いただきます」の意味の一つは、作ってくれた人の命をいただくということです。

命とは時間です。

ある人が80歳で亡くなったとしましょう。

ということは、80年間という時間が、その人の命だということです。

今朝、あなたのお母さんは、30分かけて朝ごはんを作りました。

今日の夕食、お母さんは、一時間かけて夕ご飯を作ります。

その朝ご飯にはお母さんの30分ぶんの命、夕ご飯には一時間ぶんの命が込められているのです。

 

あなたが生まれてから今日までの間、お母さん、お父さんは、自分の命の時間を使って、あなたを食べさせてきたのです。

「いただきます」の意味の一つは、作ってくれた人の命をいただくということです。

食べ物を粗末にすることは、作ってくれた人の命を粗末にすることです。

心を込めて、「いただきます」「ごちそうさまです」を言いましょう。

食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

 

 

今晩は皆既月食

今日1月31日は、満月であり、月が地球の影に完全に入り込む皆既月食が起こります。

 

日本全国で月は20時48分に欠け始め、21時51分には完全に欠けて皆既月食となります。皆既月食が1時間17分続いた後、23時8分には輝きが戻り始め、真夜中を過ぎた0時12分に元の丸い形の満月となります。

ソーハム・プラーナ

「ソーハム・プラーナ」と呼ばれるヨーガの行法があります。これは様々なヨーガの行法の中で最も基本的なものです。
「ソーハム」とは、本来は「サハ・アハム」ですが、サンスクリットの連声(れんじょう)法によって「ソーハム」と発音されます。「サハ」とは宇宙我を、「アハム」とは個我を指しています。したがって「サハ・アハム」すなわち「ソーハム」とは宇宙我と個我との同一性を意味します。

 

「プラーナ」とは息、呼吸です。ヨーガの基本は呼吸法であり、呼吸がエネルギーの流れを司るのです。行者はつまりソーハムを目指してプラーナによる行法を行っているのです。

ゆく年くる年

平成30年が

素晴らしい年になりますように

日本の神々

日本には大勢の神様が自然のいたる所におられます。海川山石草木など、自然のもの全ては、地上での神のあらわれです。

 

私たちの祖先はこの神々を「八百万の神々」とお呼びし、お祭りしてきました。

 

神々は私たちの生活や行事の中に自然に存在していますが、あまりに身近なため、普段はそのことにあまり気づきません。

 

歳神さま

お正月には、家に歳神(としがみ)さまをお迎えするために、注連飾り(しめかざり)や門松を飾り、床の間には鏡餅をお供えします。

 

歳神さまとは、正月さま、歳徳神(としとくじん)さまとも呼ばれますが、この神さまは「家に幸福をよぶ祖先神」、「一年を守護する神」、「豊作を司る神」が一つの神さまとなって信仰されています。

 

神様をもてなす

神社とは神様の住まわれる住居といえますが、古代の信仰では、神様は祭りの間だけ降臨し、祭りが終わると帰っていくと考えられました。

 

そのために祭りの時に神に依(よ)りついてもらう依代(よりしろ)が必要で、神が宿る依代、即ち神籬(ひもろぎ)は一般的に榊(さかき)の木と麻の繊維が用いられます。


正月に飾る門松も代表的な神籬の一つです。

 

歳月 人を待たず

今年も残す所、あと十日となりました。
いただいた多くの出会いに感謝致しております。
残りの日数、どうぞ心穏やかにお過ごし下さいませ。

 

東林寺天満宮

世界の未来

「世界の未来は進むだけ進み、

その間いく度となく戦争を繰り返して、最後の戦いに疲れる時がくる。

その時人類は、誠の平和を求めて、世界的盟主を挙げるであろう。

 

この世界的盟主なるものは、武力や金力によるものではなく、

すべての国の歴史を超越した、最古の最も尊いものでなくてはならない。

 

世界の文化はアジアにはじまって、アジアにかえる。
それはアジアの高峰、日本にもどらねばならぬ。
我々は神に感謝する。天が我々に日本という尊い国を、創っておいてくれたことを。」

 

アインシュタイン博士、大正11年(1922)訪日の際に

 

生命と文化の根源

私たちが口にするほとんどの食べ物は、もとを辿ると、1粒のタネから生まれたものです。

 

タネは、サンスクリット語で「Bīja(ビジャ)」と言います。それは「生命の源」という意味です。小さな1粒のタネの中に、生命の全ての可能性が詰まっています。

 

 

我が国の最古の歴史書である『古事記』。

その神代にあたる「天孫降臨」の場面でタネについての記述があります。それは天上の世界である高天原(たかまのはら)で太陽神、天照大神が地上に出発される天孫、ホノニニギノ命に対して祝福の言葉を述べられ、タネである稲穂を託し、地上に送られる場面です。

 

 

その祝福の言葉とは、「あの雲下に見える『豊葦原の瑞穂の国』(とよあしはらのみずほのくに:稲穂が隅々まで実る豊かな土地、日本)をどうぞホノニニギノ命、あなたが治め、この稲で世界一の稲作国家を築き、地上に高天原を築いてください。(天壌無窮の神勅)」というもので、天照大神は祝辞を述べられ、高天原に実る稲穂を天孫に授けられました。天孫はその稲穂を握りしめ、地上の日向の地(宮崎)に降りられ、国土の統一を実現されました。


タネは正しく、私たちの生命と文化の根源なのです。


タネには自らの生命を未来につないでいこうとする力が秘められています。それは様々な環境の変化にも適応しながら、自らを成長させていきます。私たちの先祖はその力と共に繁栄してきました。

 

それができたのは、私たちの先祖が、タネは共有の財産として扱い、独占や占有を認めなかったからです。さつま芋が沖縄から鹿児島に伝わり、それが日本の隅々にまで伝わり、収穫ができるようになったのは、それを誰も占有することがなかったからです。それは私たちの先祖の知恵であり、そうであったからこそ、人類は繁栄し、豊かな文化を育むことができました。


 

そのタネに異変が起きています。現在、世界で売買されているタネの多くが、複数の巨大なグローバル企業に占有されています。世界はグローバル化による生命と文化の略奪を受けています。


日本はペリー来航から昭和に至るまでの凡そ100年間、欧米列強の支配と戦いました。特攻隊として散っていった若者は未来の若者のために命を捧げました。

現在の私たちの世界もまた多くの問題と直面しています。安全と繁栄の象徴であった欧米でさえ、失業による暴動や、難民の増加、緊縮財政のもとで社会保障費が削減され、デモが起こっています。貪欲なグローバル化が全世界に広がるにつれて、貧困、格差が拡大しています。


私はアジア、とりわけ日本には特別な何かがあると感じてきました。それは多様性、思いやり、何世紀にもわたって受け継がれてきた文化や知恵、自然に対する畏敬の念であり、そして人や世界をより良くする新しいものに気づく力です。

 

私たちは自らの欲にとらわれるところから抜け出し、進まなければなりません。それはずっと前から私たちが気づいていた日本人の精神です。


今こそ現在の在り方を超えて次の段階に進む時です。

タネは私たちに本当の意味での豊かさを与え続けてくれます。